松坂大輔 中日退団で去就は?きっかけは恩人の退団 落合色一掃?最後は西武?

松坂大輔投手が、中日ドラゴンズ退団を示唆し、その去就に注目が集まっています。

平成の怪物と呼ばれ、日米通算170勝の右腕も、今年は目立った活躍ができない状態となっていましたが、本人は現役続行を希望しているとのことです。

中日ドラゴンズ自体は、松坂投手の契約更新を希望していたともいわれていますが、なぜ松坂投手は、中日ドラゴンズ退団を決断したのでしょうか?

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恩人の退団が、松坂本人の決断に大きな影響を与えた!

2018年に中日ドラゴンズに入団した松坂投手は、その前の3年間、ソフトバンクで鳴かず飛ばずのシーズンを送っていました。

メジャー帰りで鳴り物入りでソフトバンクに入団したものの、シーズン前のオープン戦登板時に右肩の筋肉の疲労で戦線離脱し、その後の3年間で1回1軍の試合に登板したのみでソフトバンクを自由契約となりました。

森監督とデニー友利氏に拾われた松坂投手

ソフトバンクホークスを自由契約になり、現役続行を希望する松坂投手に一番最初に声をかけたのが、当時中日ドラゴンズで編成部(国際渉外担当)にいた、デニー友利氏だったといわれています。

また、その時に中日ドラゴンズの監督を務めており、松坂投手の西部ライオンズ時代に投手コーチだった森繁和氏の計らいにより、2017年12月21日に中日ドラゴンズが松坂投手の入団テストを行うことを発表しました。

そして年が明けた2018年1月23日、ナゴヤ球場の屋内練習場で完全非公開でのテストが行われ、即日合格し、晴れて中日ドラゴンズに入団することになった松坂投手。

この時、過去3年間で勝利はおろか、1軍での登板が1試合しかなかった松坂投手に対して、森監督(当時)は、

「やりつくすまでやればいい」

というコメントを残し、話題になりました。

そして怪物復活!カムバック賞を受賞!!

こうして、晴れて中日ドラゴンズの一員となった松坂投手は、2018年シーズンにそれまでの3年間が嘘のような活躍を見せます。

番号は99、年俸は推定1,500万円プラス出来高払いの1年契約と、それまでの松坂投手の契約内容とは比べ物にならないほど低いものでしたが、松坂投手にとって、契約金や背番号は二の次であり、野球ができる喜びをかみしめていたことと思います。

シーズンに入って、4月5日の対読売ジャイアンツ戦では、日本球界では2006年9月26日の対ロッテ戦以来となる先発登板を果たしました。敗戦投手にはなりましたが、5回3失点と先発投手の役割はしっかりと果します。

そして、4月30日の対横浜DeNAベイスターズ戦で、シーズン3度目の先発登板、6回を8四死球ながらも被安打3と要所を締め、日本では2006年9月19日のソフトバンク戦以来4241日ぶりの勝利投手となりました。

そしてこの年のオールスターゲームのファン投票で、セ・リーグの先発投手部門で見事に1位で選出され、12年ぶりのオールスター出場を果たしました。

その後も1年間先発として活躍し、6勝4敗で復活をアピール。カムバック賞を受賞しました。

この年の活躍が認められ、シーズン終了後の契約更改で6500万増の8000万円で一発サイン。鈴木翔太と背番号を交換する形で、慣れ親しんだ背番号を18に変更となりました。

松坂効果は他の部分でもドラゴンズ球団に貢献

1年で背番号99の松坂投手は見納めとなりましたが、2018年のグッズ売り上げでは、松坂投手のグッズがダントツの売り上げを記録。また、松坂投手が登板した試合の観客動員もとても多く、売り上げの面でもドラゴンズ球団への貢献は大きく、その面でも2018年の契約金大幅アップは自然の流れだったと思います。

その面では、背番号18を背負った2019年の沖縄キャンプで、ファンに腕を掴まれて肩を負傷してしまったことが不運の始まりであり、2019年シーズンは思うような活躍ができなかったことは、松坂投手にとってもとても心苦しい結果になってしまったのではないでしょうか。

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松坂投手の気になる今後の去就は?

まだまだ現役続行にこだわる松坂投手ではありますが、すでに中日ドラゴンズからの退団の意思を固めたという報道がなされています。

恩人二人の退団が決め手となった、松坂投手ドラゴンズ退団

すでに大々的に報道されていますが、松坂復活に大きな影響を与えた森繁和SDと友利結国際渉外担当が、中日ドラゴンズを退団することが発表されました。

松坂投手にとっては、ドラゴンズに自身を導いてくれた恩人二人の退団は、とても大きなショックだったようです。

自らが17年オフにソフトバンクを戦力外となった後、最初に声を掛けてくれ、テスト入団の際には球団内の意見を集約して獲得に尽力してくれた2人の退団は、さぞショックだったことでしょう。

松坂投手本人は常々

「2人がいなかったら今の僕はない。感謝してもしきれない」

と話していたほどだったようです。

そして、松坂投手自身も中日ドラゴンズ退団の意思を固めた模様です。

意外に大きい松坂退団の影響。その人柄を慕う後輩は多かった

松坂投手退団のニュースは、特に中日ドラゴンズに若手選手に対して、大きなショックを与えたようです。

1軍2軍問わず、若手投手の中には、その人柄にひかれ、的確なアドバイスを受けて飛躍を遂げた投手も多くいます。

その筆頭は、今年11勝を挙げる大活躍を見せた、柳裕也投手でしょう。

柳投手は、西武時代の松坂の下敷きを使っていたほど、松坂投手は幼い頃から憧れの存在だったそうです。自分自身は、メジャーで活躍する偉大な投手の背中を追い、同じ横浜高の門をたたきました。

柳投手は、松坂本人から退団の意思を知らせるLINEをもらったそうですが、そのLINEを見たときに、涙が止まらなかったといいます。

「直接連絡をいただいて感謝してます。ドラゴンズに入団されてからこれまで、本当に夢のような時間でした。」

ずっとあこがれだった存在の松坂投手とプロで同じチームで一緒になれた奇跡に、感謝の気持ちでいっぱいだったようです。

そして、

「プロ野球選手『松坂大輔』だけでなく、一人の人間として目指していきたい存在です。松坂さんの成績を超えることはできないと思いますけど、その成績に近づけるように頑張りたい。」

と、コメントを残しています。

また、2019年に、松坂投手と同様に甲子園で大活躍し、鳴り物入りで中日ドラゴンズに入団した根尾選手は、

「1年間でしたけど、伝説のピッチャーと言われる方を近くで見させていただいたのは財産です」

とコメントしました。

もちろん、中日の与田監督も松坂投手の中日ドラゴンズ残留の望んでいたと聞きます。

「退団することは本人の意思なので尊重しないといけないですが…。寂しいですね」

と、声を落としていたようです。

落合色一掃を望んだ球団の方針

今回の森SD、友利国際渉外担当の退団は、長く続いた落合元監督~GM時代の名残を一掃したいという中日球団の方針がきっかけだともいわれています。

その噂は意外にも信ぴょう性が高く、落合氏が監督時代に中日に入団した、小笠原2軍監督の退団や、落合氏が鍛えて1流の選手に育った森野将彦2軍打撃コーチの退団等にも表れていると言われています。

この落合色の一掃は、与田監督が直々に中日ドラゴンズフロントに要請したとも言われており、真相は明確にはなっていませんが、その影響を受ける形で松坂投手退団の報を聞くことになるとは、当の与田監督も考えていなかったのではないでしょうか。

中日ドラゴンズ唯一と言ってもよい全国的に人気のあるスター選手を手放すことになった中日ドラゴンズの、今後の球団運営が気になりますね。

最後は西武ライオンズで引退か?

中日ドラゴンズを退団した後の移籍先として、松坂投手がプロ生活をスタートした西武ライオンズが浮上しています。

今年のペナントレースでは、圧倒的な強打でパ・リーグ連覇を達成した西武ですが、チーム防御率は2年連続最下位と、投手事情は意外に苦しい状況になっており、松坂投手は戦力としてだけでなく、若手が多い投手陣の模範としての役割も期待されている模様です。

西武自体は、1998年のドラフト1位で指名され、プロ野球人生をスタートさせた球団であり、1年目から3年連続最多勝に輝くなど、8年間で通算108勝を挙げ、人気、実力両面でチームを支えた松坂投手の黄金時代を過ごしたチームです。

2006年オフにはポスティングシステム(入札制度)でRソックスに移籍しましたが、球団はその際の入札金約60億円を利用して戦力補強や球場改修、ファンサービスの充実に取り組むことができました。

その意味では、松坂投手の最後のユニフォームを着る球団として、西武ライオンズは良い選択かもしれません。

現在170勝の松坂投手。名球会入りするためにはあと30勝を積み上げなければなりませんが、何とか体のケアをし、1年間戦える肉体を作り上げて、是非とも200勝目指して頑張ってほしいと思います。

そんな松坂投手を見られるのであれば、1球団のファンを超えて、1プロ野球ファンとして、松坂投手を応援できるのではないでしょうか。

頑張れ!松坂投手。

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