ニキ・ラウダさん死去!映画にもなった伝説のレーサーの壮絶人生とは?

午前中から、モータースポーツ好きの私にとって、衝撃的なニュースが飛び込んできました!

それが、伝説のレーサー「ニキ・ラウダ」さんの訃報・・・。

最近は、入退院を繰り返していたと聞いていましたが、必ず元気になってF1の現場に復帰されてることを祈っておりました。

とても残念な気持ちでいっぱいですが、今回は、映画にもなったニキ・ラウダさんについて書いてみたいと思ます。

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伝説のF1チャンピオン ニキ・ラウダとは!?

伝説のF1チャンピオン、ニキ・ラウダさんにについて振り返ってみましょう。

本名  :アンドレアス・ニコラウス・”ニキ”・ラウダ
生年月日:1949年2月22日
出身国 :オーストリア出身
職業  :元レーシングドライバー、実業家。
経歴  :1975年、1977年、1984年のF1ワールドチャンピオン。
特徴  :「スーパーラット」「不死鳥」の異名を持つ。その走りはミスが極めて少ないことからコンピューターの渾名を持つ。
その他 :実業家の一面も持ち、引退後はF1チームの役職を歴任した。

<F1経歴>
出走回数     : 177回 (171回スタート)
タイトル獲得数  : 3回 (1975年,1977年,1984年)
優勝回数     :25回
ポールポジション :24回
ファステストラップ: 24回
通算獲得ポイント :420.5ポイント

1971年にF1にデビューし、1979年に一旦F1を引退しますが、それまでに2度のF1チャンピオンを経験しています。

1975年にフェラーリドライバーとしてチャンピオンを獲得後、翌年、絶好調の中第10戦ドイツグランプリ・ニュルブルクリンクで瀕死の重傷を負ったことは周知の事実ですね。しかし、その数週間後にはレースに復帰していたこともあり、「不死鳥」の異名を取りました。

その年は、これまた有名な、雨の日本グランプリ(富士スピードウェイ)を危険だとリタイアし、ジェームズ・ハント氏がチャンピオンになります。

しかしその翌年、しっかりと2度目のチャンピオンをとったところが、全盛期のニキ・ラウダ氏らしい、素晴らしいところですね。

そして、一度引致した後カムバックした後の1984年に3度目のチャンピオンに輝いた時は、
アラン・プロスト氏との間で0.5ポイント差でした。

この年のモナコグランプリは、大雨の中レースが途中で赤旗→成立で、規定周回数未満だったため、ポイントは半分付与。優勝はアラン・プロスト氏でしたが、そのままレースが続いていたら2位になったデビューシーズンのアイルトン・セナ氏だっただろうと言われている伝説のレースですね。

仮にこのレースが規定周回に達していて、セナ氏が優勝し、プロスト氏が2位だった場合は、
逆にプロスト氏がチャンピオンだったという事になります。

このような運も味方につけたニキ・ラウダ氏は、3度目のチャンピオンにふさわしい戦い方と、運をも味方につけた、文句無しのチャンピオンでした。

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映画「ラッシュ/プライドと友情」と、ラウダ氏の壮絶な人生とは!?

2013年に公開された映画「ラッシュ/プライドと友情」は、ニキ・ラウダ氏と、ジェームズ・ハント氏のライバル関係と友情をテーマにしたアクション映画です。

1976年に、ニキ・ラウダ氏が瀕死の重傷を追った年のシーズンを題材にしながら、二人のライバル関係と友情を余すところなく表現しています。ちなみにこの映画は、前述の1976年第10戦、ドイツGPニュルブルクリンクのレースに主眼が置かれています。

その日のニュルブルクリンクは朝から豪雨で、コンディションは極めて悪い状態でした。
ただでさえ、途轍もない難コースである上、厳しいヘビーレインコンディション。
そのため、レース前に、レースを決行するべきかどうか審議が行われたそうです。

ここで、ラウダ氏とハント氏の意見が分かれます。ラウダ氏は中止を主張したが、ハントは決行を支持し、結果、予定通りレースは開催されることとなりました。

そして、そのレースでラウダは大クラッシュ!!!生死をさまよう重症を負ってしまいます。

ハント氏は彼のクラッシュの原因が自分にあると思いつめ、とてもショックを受けます。
奇跡的に一命は取り留めたラウダ氏は、自分が欠場中のハント氏の活躍を、病院のテレビで見て奮起し、事故後わずか42日後にレースに復帰するのです。

ちなみに、この時瀕死の重傷を追ったラウダ氏は、顔に大やけどを負い、その面影は、最後までラウダ氏の風貌に残っていました。
また、火災の際FRP製のボディーが燃えて発生した有毒ガスを大量に吸ってしまったため、肺に深刻なダメージを受けたそうです。

また、全身のおよそ70%の血液を入れ替え、数日間生死の間を彷徨い続けました。

ただ、このような状態対して、諦めの境地に達した家族が、臨終儀式のために牧師を病院に呼んだところから、ラウダ氏の驚異的な回復が始まったと言われています。

この話を聞いただけでも、ラウダ氏の底知れない生命力がよくわかりますね。

まとめ

近年は、メルセデスAMG F1チームの非常勤会長として、4連覇中のチームの重要な役割を果たしていました。

このような存在感溢れるカリスマがいなくなってしまうのは、現代のF1界にとって、とても悲しい事ではありますが、記録以上に大きなインパクトを残してきたラウダ氏のご冥福をお祈りしたいと思います。

今まで本当に、お疲れ様でした。

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